ふみかんがえます20100131<201001312200wrote>

立山芦峅寺境内の杉R0014815.JPG
外国人参政権について。
今回のかたちでの現時点での参政権の付与について、私ははっきりと反対。このことについての論点はそれぞれメディアでの参照、整理が可能だが,気になることをひとつ。
「参政権は国家に責任を持つもののみに与えられるべきだから」という理由。
まさにその通りであるからこそ,ここで現状の日本、日本国民を顧みると、国家意識、帰属意識、国民の国への思い、すべてにおいて今回の参政権付与の対象となっている、在日外国人のほうがベクトルはどうあれ、明らかに強い自覚を持っていると感じる。国、己の地域を思うものが参政権を与えられるとなれば、今の日本でどれだけの人に資格があるのかと思うと、こわくなる。
このことの本質は、突き詰めれば、国をどうとらえるかの一点に尽きる。
戦後、私たち日本人の多く、そして日本国は、「国家と国民」「日本人とは」このことをずーっと正面からとらえることなく生きてきた。これはいまの若い者だけの責任ではけっしてない。
経済の行き詰まりとともに、先の見えない今を切り開くために、本当に必要な価値観の構築。この問題こそが本質の一つ。
国家防衛、戦後処理、太平洋戦争責任の帰結、天皇と日本国憲法、自衛隊、日米安保、特攻隊の思いの行き先、公害訴訟、薬害訴訟、戦後補償、対外関係のみならず、さまざまにあらわれるこの国の姿勢に私は胸を張れない。決して自虐的歴史観という相対ではない、絶対的内なる思いとして。
私は、常々、歴史あるいは天は卑怯を許さないと思っている。
今のこの国の行き詰まりはまさになるべくしてのこと。それぞれの時、それぞれの場においての個々の努力がこの国の今を成り立たせていることは間違いなく、私もその利益の享受者であり、加担者である。今生きていることへの感謝すらろくにできていないといわれればその通りだが、しかしそのことだけでは未来は開けない。
もう一つ今回の参政権付与について。
自民党が公明党と連携をはかって,自らの未来を危うくしている例がわかりやすい。今回の参政権付与にその様な目論見があるともいわれているが、ばかなことだ。ちなみに自民党の中で、自公連携について公明党を悪くいう人もいるが、勘違いもいいところだと思う。100%自民党が間違ったのであり、今もまちがっている。
自らが発するベクトル。選択と責任を自覚して生きる努力。

わたしの考えを表に出していきます。浅学非才ゆえ間違いが多いと思います。
けれど、現時点の自分を発信することが自分を磨くチャンスになると思い、言い訳せずに、書きます。
皆様のご意見、ご助言をどうぞおねがいします。
特にこの項<think>については政治に携わる一人としての立ち位置です。富山県議会議員というわくではありません。
文章は紋切り型がしっくりきましたのでその様にさせていただきます。
でありますので、失礼お詫びします。
ホームページ、または、メールでのやりとり環境が現時点では整備できていません。
ぜひ、ファックス076-420-6336でおねがいします。記名の意見にのみ返信いたしますので、あしからず。